私のことを書きます
今日は突然ですが私のことを書きます。
どうして書こうと思ったのか、そのきっかけから記録していきたいと思います。読んでいる皆さんからしたらえっなにこれは…って思うかもしれませんが、少々お付き合いください。
きっかけは、昨日兄から届いた手紙でした。
内容はざっくり言うと、『お前だらだら生きるのもいい加減にしろよ』といった感じのものが二枚。
私は兄と3つ離れていて、小学生の頃は二段ベッドで話したり一緒にゲームをしたりするような、まあまあ仲良かったと思います。
私が中学生にあがったくらいから、お互い思春期に入ってなんとなく話さなくなるようになりました。向こうが高校生になって二段ベッドも解体、別部屋で過ごすようになってからそれは顕著になっていったと思います。
私はそのときはまだ兄に対して『何となく話しづらい』程度にしか思っていませんでした。恐らく兄も同じだったと信じたいです
その空気を父親は『あんた達兄弟なんだからもっと仲良くしなさいよ』と言い、母は『いいのよちゃんと兄弟なんだから』と言いました。
それから私が高校生になり、だんだん兄に対して顔を合わせづらいとまで思うようになって、会話はほぼしなくなりました。
「はさみある」
「あるよ」
「どうも」
交わす会話は必要最低限の業務連絡みたいな、そんな程度です。
周りに聞くような「お兄ちゃんと仲良い」みたいな兄妹は私の家にはないのです。私にとって兄弟が仲良いというのは凄く凄く羨ましかったし、同時に妬ましくもあります。コンプレックスにも近いかもしれません。
さて、話を戻します。
何故兄からそんな手紙が届いたかというと、先日祖父が亡くなり、そのときに兄にこう言われたのです。
「今一番ショックを受けてるのは何よりも親父だし、叔母さんだから。葬式まで一週間あるから、その間親父をサポートしてやって」
他、家の事情のことを言われ、私はそのとき兄がそういうことを言ってくることに驚きつつも、素直に「あ、うん、分かった」と返事しました。
つまり、兄にとって、葬式までの私の言動が目に余った、ということでした。兄から手紙が届いたことにまた驚き、読んだ後は気づけば涙を流していました。なんの涙なのかは、これを書いている今でもわかりません。
兄は、手紙でこうも言っていました。
「仕事への不満、家族への不満、兄への不満。妹の状況は全部わからないけど、もう両親も60近い。いつまでも甘えられないんだよ。」
至極正論。としか言いようがない言葉でした。
私はこの通り人に甘えて生きています。いると思いますなんてやんわりな表現はしません。はっきり言って私は家族に甘えている所謂親すね野郎です。
ここで私のことを少しずつ書いていきます。
私は書いてあるように長男長女の妹です。仕事はまったく興味のなかった業界で、それでも実際やってみると意外とやりがいがあったり楽しかったりそんな仕事をしています。
私は、俗に言う『真面目で良い子』というカテゴリに分類される人間をしています。家では、自堕落の三文字がぴったり。
そう、外面だけは良くて中身はカスッカスなんです。
こういうことを書くのは気が引けるのですが、職場では残業を頼まれたら過度なものでない限り引き受けていますし(断れないというのもあるんですが)休みの日にも会議に出勤したりしています。これは自分が後々上司に頼み事をしたり休みを申請したり、職場から評価されるときに嫌な印象を与えないようにするためのいわば『点数稼ぎ』に過ぎません。「休みの日にも会議に出てくれて真面目だ」「いつも残業引き受けてくれる」みたいなね。断りきれないっていうのもあるんですが。(二回目)
容姿については、自分ではなんとも評価しづらいですが大きく見積もって可もなく不可もなくみたいな、まあ平凡なレベルだと思います。黒髪でメガネかけて髪を結えてるのでよく見る文芸少女を想像してもらえると容易いと思います。
そんな容姿で真面目をやっていると『真面目で良い子』という姿が出来上がってしまいます。
その姿で居続けるとどうなるか? その反動が重すぎるんです。
外面からは想像できないような口の悪さ、自堕落っぷり、食生活の乱れ(ここはあんま関係ないかも)、
何より家での私の評価。
両親は家族がいない場での外面の私を知らないので、内側でしか評価しようがないんです。
上記を見る限り私は正反対の『不真面目で悪い子』でしかないんです。
きっと私という人間を両面から評価しても、結果は『不真面目で悪い子』だと思います。だって素の自分はそこにあるから。でも、『真面目で良い子』の私にも素はあるので、最近どれが本当の自分なのか考えるときがあります。凄く発言が厨二病っぽい。
話を少し変えます。
人は何をもって自立というんでしょうか。一人暮らし?結婚?独立?人に甘えないこと?
私はこれを書きながらずっと考えていますが答えが出ません。
兄にとって私の自立は甘えないことなのかもしれません。というのも兄は結婚の予定はないし(そも彼女がいない)、いま30手前ですけど実家暮らしなので……
私は一人暮らししたら人に甘えないようになるんでしょうか。私は違うと思います。自分のことを一人で出来る様になったとしてもそこに『両親を支える』は繋がっていかないと思うのです。何故って私は両親に限らず人に自分のことをやってもらうことにほとんど何の遠慮も感じないからです。
「私なんかのために…すいません」みたいに口だけでは何とでも言えるけど、人にしてもらうことに慣れているのでなんとも感じないと思います。
私が支えなきゃって思える以前に、支えられるだけの人間力がそもそも私に備わっていないように感じます。ダメ人間という表現が一番似合うかも。
兄にとってはそんなダメ人間、ダメ妹が目に余るといったところなんでしょう。
ここで兄のことを書きます。
兄は昔はゲーム好きで高校生までXboxやPS2などテレビゲームばかりやっていました。私はそれに感化され携帯ゲーム機でロックマンやガンダムなど男受けなゲームばかりやっていました。
勉強は大学受験を機に必死に勉強していた記憶があります。また、中学生から部活で楽器を始め、父親に勧められ半ば強制的に趣味としても別の楽器を始め、社会人になった今でも仕事帰りに楽器をやってくるなど、兄は『出来た兄』でした。
性格は昔は喋る方でしたが高校にあがる頃に無口になり親に反抗している時期もありました。父親に叱られたり小言を言われてもぐっと抑えて部屋でぶつぶつと文句を言っているような人でした。ここは私も同じです。
それでも兄は私と違って外も中身も真面目という言葉がよく合う人です。真面目だからこそ、私のことが許せなくて、真面目だからこそ私に手紙を書いたんだと思います。
そんな兄を、私は尊敬すると同時に憎いとも思います。嫌い、とはまた違うんじゃないかと。私は兄に対して愛憎の念を抱いているんだと。それは私は兄と違って出来損ないの妹としてふしだらに育ってしまったという思い込みから生まれた感情だと思います。私とお付き合いのある人達は皆がそんなことはない、と言うでしょうが。
次に両親のことを少し書きます。
父親は非常に厳格で、悲しいかな外面は良いのですが家のなかとなると亭主関白で、母のことを女中かというぐらいこきつかったり、もちろん私達兄妹のことも召使いかと思うような扱いです。イライラするとすぐに態度に出るし、人に八つ当たりはするし。親のことすら「じいさん」「ばあさん」といった呼び方で邪険にするような態度でした。私はそんな父親が休みで家にいる土日祝日、長期休暇が大嫌いになりました。私がよく土日が来る度に嘆いていたのはそのためです。
母は、そんな父親と違って正反対で自己を犠牲にするような行動が多い人です。
私達子供のことは基本甘やかしたいと思っているようで、それは親から言われた「一緒に住んでるうちは子供のために精一杯出来ることをしなさい」と教えられたことが身に染み付いているようです。
食事は作っても必ず「 私の分はいらないから。みんなで食べて」と言って皆と一緒に食べることがあまりないです。食べない間も「ご飯は?」「お茶はいる?」などと皆のことを気遣います。私はそんな母の姿があまり好きではなく、イライラしてしまうことも少なくありません。
他にも「私はいいから」といって自分のことを犠牲にして他者を優先したり、とにかく大袈裟に言うと「私の事なんてどうでもいいから皆が良ければそれでいい」みたいな生き方をする人です。
そんな両親の元に生まれた私は、反面教師にすることは叶わず、良くも悪くも両親の特徴を半分に割ったような性格になりました。顔は悔しいけど父親似と言われます。
怒りっぽくてイライラがすぐに顔に出るくせに、自分のことはどうでもいいと言いつつも人に甘えて生きている。
母は兄のことを「どっちかというと父親似じゃなくて、うちの弟に似てる」と言います。書いていて気づきましたが、私は父親似だと思います。いや、似てきたと言った方が正しいかもしれません。言葉がきついところとか。書いてて思わず苦笑い。
さて、話も長くなってきたのでそろそろ終わりにしたい。
手紙を読んでからというもの、私はずっと頭の中で兄の手紙の言葉が頭の中で響いています。目を閉じれば書きなぐった兄の言葉が浮かんできて、まるで何度も私の心を突き刺すように蘇ってくるんです。
これは呪いだ、私はそう思うようになりました。なんか酷く自己中心的な考えですね。
今は、コロナウイルスの関係で在宅勤務になった兄を待つ家に帰るのが凄く辛いです。父親も帰りが早くなったので、私はこれから父親だけでなく兄にも怯えながら暮らしていかなきゃいけないことが、私にとって苦痛でしかありません。
何故って、これから私の言動は兄にずっと傍で見られているということになるからです。
私が今までしてこなかったこと、新しい何かに挑戦すること、些細な私の変化を兄にこれから全て見られてしまうのです。
私は家族に限らず、他者に見られるのが凄く凄く嫌で、他者からどう見られているのか気にしてしまう性格で、
それが身近な家族でしかも兄にされるとなると、隣の部屋にいるだけで後ろに視線があるような気がして堪らないのです。
兄は私の事を好きではないんだと、思います。私と同じで愛憎の念を抱いているのかもしれない。分かりません。少なくとも明確な好意は感じません。
でも、手紙に認めてきたということから想っていることは分かります。
私はこれからずっと、生きていく中で幾度も兄からの手紙を思い出すようになって、何度も苦しむ思いをして、何度も自己嫌悪に陥っていくんだと思います。
兄はこんな私の精神状態を把握してるかは知りません。でも、それで良かったんだと思います。
兄は私に変わって欲しくて手紙を書いた、と書いてありました。
自分を変えることは、私にとって恐怖で、とても勇気のいることです。誰もが皆そう言うでしょうけど。
分かりません。これから私は変わっていくのか。知らないうちに変わっていくのかもしれないし、怯えながら少しずつ勇気を出して変わるのかもしれない。
少なくとも今の私は変わりたい!と声高々に宣言はしません。変わった先に兄の求めているものがあるのか、確実じゃないから。
変化を求めるなら、言ってしまえば仮面を作って被って変わったように見せるのも私の人間性なら有り得るかなあ。
そっちの方が楽かもしれません。
長くなりましたけど、ここら辺で〆ます。
酷く感情的に書いたのでなんて自己中なヤツだよ!と思うかもしれませんが大いに思ってください。
捌け口がなかったので私にはこうして書き殴るしかこの感情を処理することが出来ませんでした。
ここまで読んでくださった方がいるか分かりませんが、もしいるなら。本当にここまでお付き合いありがとうございました。
どうか、この記事が兄の目に留まりませんように。